『沖の大夫』って、ご存じですか?
『沖の大夫』とは、海に住む立派な鳥という意味です。
昔、アホウドリは『おきのたゆう』と呼ばれていました。人間を恐れない性格のため逃げることを知らず、たくさんの沖の大夫が乱獲され絶滅へ。その危機を知った一人の若者が立ち上がり、復活させた沖の太夫のお話しです。
アホウドリを復活させた長谷川先生のホームページ、「
アホウドリ復活への軌跡
」は
こちら
アホウドリ
アホウドリは北半球で一番大きい海鳥です。
成鳥になると体重約7s、翼を広げると約2.5mに達します。この優れた体型と飛翔能力で大洋の真ん中を征服しているのです。アホウドリの餌は、海水面近くのイカとか大型の甲殻類プランクトンです。餌は半径約1,000qの範囲でとります。春から秋はベーリング海やアリューシャン列島近海、アラスカ湾で栄養を十分とります。10月になると鳥島に帰ってきて産卵期を迎えます。卵の大きさは直径11.8p、短径7.4p、重量375gにもなります。
産卵のために鳥島に帰ってきたアホウドリ達
鳥島
八丈島よりはるか南に位置する、小さな火山島が鳥島です。(東京から580q)1902年の大噴火により島民は全員死亡。今は誰も住んでいません。
秋になると、アホウドリは産卵ためにこの島に帰ってきます。一夫一婦のアホウドリは、半年ぶりに再会し、よりそいすごします。 1月はじめ、次々とひな達が誕生します。親鳥たちは餌をとってきてはひなにあげます。体重はひなの方が重くなってしまいます。
5月はじめ、親鳥たちは子育てを終了し、渡りに。 残されたひな達はかぜに向かって飛ぶ練習を開始します。
一生懸命走り、地面を蹴る。羽を広げ強く羽ばたいたとき、風にのったひなは、とんだ!
みんながいるアラスカへ向かうひなが、鳥島に帰ってくるのは、3,4年先のことです。
絶滅から復活へ
1949年、アホウドリは「絶滅」したと考えられました。
原因は1千万羽ちかくののアホウドリを人間が捕獲したためです。羽毛をとるために…
1951年、鳥島で10羽のアホウドリが発見されました。
1954年、7つがい3羽のひなを確認。
1973年、京都大学で一人の若者が鳥類学者ティッケル博士と出会い、鳥島のアホウドリについて語り合いました。
1974年、若者 長谷川 博氏は、たった一人でアホウドリの復活の道を開けます。
1976年、長谷川先生が、はじめて鳥島でアホウドリの観察をおこないました。この時のアホウドリ数は69羽でした。
先生は、営巣地の環境を整えるために、ススキを移植したり砂防工事をおこないました。
土石流で、整備した営巣地がながされ、卵もひなも激減したこともありました。
しかし、長谷川先生の長年の観察努力、アイデア、実行力で、アホウドリは増えはじめたのです。
1999年、アホウドリの数は
1,000尾
に達しました。
2000年、鳥島では約150羽のひな達が巣立ちました。
2005年、残念ながら昨年より40羽少ない151羽の巣立ちでしたが、新コロニーが確立され、今後に期待ができそうです。
長谷川博先生
1948年静岡県生まれ。京都大学大学院で動物生態学を専攻。現在、東邦大学理学部教授。アホウドリの保護研究を中心に海鳥類の生態等を調査研究しています。
長谷川先生のHP、ぜひご覧下さいね。
アホウドリ復活への軌跡→
こちら
アホウドリ保護のための研究と活動を支えるため、「アホウドリ基金」が設けられています。詳細は下記までお問い合わせ下さい。
〒274−8510
千葉県船橋市三山2−2−1
東邦大学理学部生物学教室内 長谷川博
FAX 047−472−5236
このHPは、長谷川先生から頂いた写真及び本で作成いたしました。
長谷川先生、ありがとうございます。
チャイルド絵本館 どうぶつ感動ものがたり
よみがえれ あほうどり チャイルド本社 ¥700
文・写真―長谷川博
小さなお子さんにぴったりの本です。
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