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 蓄膿症の手術を受けました。手術なんてはじめての上、八丈島から一人東京の病院に。辛く楽しい体験日記。ぜひご覧下さいね。




 「慢性副鼻腔炎」、ちくのう症と言った方がなじみ深いですね。ちくのう症とは「副鼻腔の粘膜に炎症がおこり、そこにうみがたまる病気」と家庭の医学に書いてありました。

 私の場合の症状は、はじめに鼻汁が異常に増え、よく鼻をかむようになりました。しばらくすると鼻づまりになり(もちろん嗅覚が鈍くなり)、頭痛もちになってしまいました。ベットに入ってからもなかなか寝付けず、睡眠不足がしだいに性格を短気へとかえていき家族をはじめ周りの人にあたるようになりました。

 原因は体質、アレルギー、鼻腔内の構造などが考えられるそうです。私の鼻は良く曲がっていました。レントゲンとCTを撮りましたが、くの字に曲がっておりました。これを鼻中隔曲わん症というそうです。これが原因の一つである鼻腔内の構造なのでしょうか?

 私は病気にあまり詳しくないので自分の体験をまとめてみました。




ちくのう症(気弱な)3男の手術体験日記

 私は自分の鼻の低さやダンゴ型に悩んだことはありましたが、鼻骨の曲がりで悩んだことはありませんでした。ところが3年前、私は突如すさまじい鼻炎におそわれたのです。原因はこの曲がりでした。

 それから4ヶ月後、鼻はつまり、頭痛はたえず、睡眠不足に短気が加わり、異常を感じた私は病院へ向かいました。医師の診断は慢性副鼻腔炎(蓄膿症)でした。

 昨年の夏、治る気配のない蓄膿症に医師は「抗生剤をかえてみましょう」と私にクラリス錠をすすめた。服用を始めると、すぐ目がチカチカし、腕や足もなんとなくかゆくなり、気がつくと腕の付け根や、足の付け根から体中に発赤がひろがっていました。アレルギー反応でした。

 それから私の体は過敏になり、ムコダイン錠を服用しても発赤が出るようになりました。薬は飲めない、鼻づまりは治らない。アレルギーによる口内炎は、なんと2ヶ月半も私の口に居候したのです。

 秋、私はついにこの生活から脱却するため手術を決断しました。そして2月、私の入院生活がはじまりました。





★★★★★手術前日(入院1日目)★★★★★

 休日の病院を訪れると、愛そうのよい看護婦さんが迎えてくれた。本間かーさんである。初めて会話をしたのが本間さんだったので、親近間を持った私は以後、本間さんを本間かーさんと心の中で呼んでいた。

本間かーさんから一通りの説明を受け、明日の手術が8時半か9時頃であることを教えてもらった。 「痛いんでしょうね。」と尋ねると「ちょっとね。」その言葉を信じ、私は深い眠りにはいった。熟睡のあまり目がさめるとまだ1時。それから浅い眠りのまま朝を迎えた。
 
 やっぱり緊張しているようだ。




★★★★★手術日(入院2日目)★★★★★

 朝の体温は35.9度、血圧98の68であった。

 8時少し前、「長田さん、1階の診察室まで…。」と放送され、とんでいってしまった私はまさかそのまま手術とは知るよしもない。院長先生に「相当曲がっているなー。」と指摘された後、狭い手術台に寝かされ麻酔が始まった。

 事前麻酔の後、注射による麻酔があり約3分後、副院長先生の「ヨシ、ヨシ。」のかけ声とともに、私の鼻の内部は削られていくのであった。術中の痛みはほとんど無いのだが、気弱な私は顔にかけられたカバーによる暗闇、麻酔液の押し出される圧力、骨の削られる音などにびびりまくっていた。途中、「長田さーん。」という呼びかけに反応することすら忘れ硬直しきっていたのである。

 私の場合、左の鼻に多くの時間がさかれていたので、左の鼻が削り終わった頃には「もー大まかなところは終わりましたからね。大丈夫ですよ。」といわれた。しばらく「ヨシ、ヨシ」の声で削られた後、ガーゼをつめられ手術は無事終了した。顔にかけられたカバーがとられ目を開けた時には、いつの間にか溜まっていた涙が滝のようにあふれでた。

 鼻は裂けんばかりにパンパンで、今にも爆発しそうである。

 麻酔がきれるのが早かったせいか、看護婦さんに連れられて戻ったベット上で、私はあまりの痛さに耐えかね、だだっ子のように足をバタバタさせておりました。時計を見ると9時25分。手術は約1時間くらいだったようです。

閉所恐怖症の子供のようにビビリまくった手術の様子は、この後忘れようとする私をあざ笑うかのように何度も何度もくり返し頭の中で再現されました。恐怖のあまりくいしばった歯ぐきは上下ともはれわたり、ガーゼで詰まった鼻とともに術後3時間私を苦しめました。


 私が苦しんでいる間、一人の若者が続いて手術を行った。若き音楽家伊藤君である。病室で若き音楽家伊藤君の母に伝える看護婦さんの助言はそのまま私の助言となり私は進化していった。

特に手術経験者の看護婦さんであるTさんの「大丈夫ですよ。2日間は痛いですけどね。立てないほど痛いわけではありませんから。身の周りのことは自分で立ってできますからね。私もこの間やりましたから。」という言葉は痛がっている私の胸をグサリと刺した。

本間かーさんにいたっては点滴針をさしながら、痛い痛いと騒ぐ私に「痛い?」と聞くので「鼻が…」と答えたら「あーお鼻、鼻が痛いのはしょうがない。」といっしゅうしてしまうのであった。

 そんな苦しみの中、 手術の助手をしてくれたKさんがきた。「長田さん、これ手術でとったの。下の方にある白いのが骨ですから…。」忘れようと頑張っている私に、もろにサンプルビンを見せ説明するKさんはまるで魔女のようであった。以後私はKさんのことを魔女ッ娘Kちゃんと命名した。

 本当に女の人は強い。だから出産できるのだろうと考えながら、私は枕もとに置いた我が子の写真に手を重ねておりました。ちょうど1ヶ月前、3歳の娘は川崎病で高熱を10日間続けていました。娘の苦しみに比べれば一週間ぐらいと、自分にいい聞かせておりました。


 それにしても痛い。鼻から喉からでるわでるわ。私のティシュはわずか6時間で1箱消えてしまいました。ベット下のティシュの山は看護婦さんの驚きの的でした。後で他の人を見てわかったのですが、私は異常なペースで拭いたり、吐いたりしたようです。そのおかげというのもなんですが、私の枕とシーツはまったく血の跡がありませんでした。

 少しでも止血を早めるため一生懸命顔だけは上に向けていました。そのため背中はものすごく痛く、限界だと感じた頃診察の時間となりました。なんと私は術後6時間1度も起きなかったのです。正確には起きれなかったのです。(ちなみに同室の3人は歩いてました。)

 ものすごーく痛い私に変化が訪れたのは夕方でした。若き音楽家伊藤君の母が食事を持ってきてくれたのです。おもゆと味噌汁、ヨーグルト、オレンジジュース、お茶でしたが、ペロリ。特に味噌汁がおいしかった。白黒判断できないときに味噌の濃い味がきわだって感じられました。

 手術経験者Tさんがベットの上で食事する私に「長田さん、あんまりひっぱると点滴抜けるから…」という注意にうなずきながらも、点滴をベットの反対側に移動する力は残っていませんでした。 たぶんこんな状態で私が食事できたのは、娘が入院したさい医師が「なるべく食事をとらせてください。」という言葉のせいだったと思います。
喜びも束の間、食べ終わるとすぐ私は横たわってしまいました。

若き音楽家伊藤君の母には、食器の片付けとともにスプーンまで洗ってもらい、大変お世話になりました。


 今日の当直者は手術経験者Tさんです。実は私が昨年11月に初めて訪れた時、レントゲン室に案内してくれたのが手術経験者Tさんでした。

 夜になると熱がでてきました。残念ながら私には解熱剤と痛みどめはもらえませんでした。それは出血を抑えるためとアレルギーの心配からでした。私の場合発熱がたびたび見られたため、手術経験者Tさんからアイスノンの場所を教えてもらい、次の日からは勝手に冷凍庫から出して冷やしておりました。高い枕から(ここの枕は何故かみんな高い)アイスノンにはかなりのギャップがあり、なかなか眠れませんでしたが冷たさがとても心地よかったです。

 背中と鼻と歯ぐきは一晩中うずきまくりましたが、頑張れ、あと1日頑張れば楽になる。がんば、がんばとつぶやいていました。ただひたすら、あと何十時間、何時間と…。

 ここまで苦しむと、川崎病の娘には絶対後遺症がでないことを、そしてもう二度と入院することが無いように祈ってました。

鼻に詰まったガーゼの影響で私の目は体温計さえも読むことができず、涙ばかり流れていましたが、この時ばかりは本当に涙が流れておりました。写真に手を重ねながら子供達のパワーをもらう私は本当にヘトヘトに弱ってました。





★★★★★手術後1日目(入院3日目)★★★★★

 ものすごく大きな鼻と真っ青な顔、そして薄紫色の唇を見て絶句。

 こわごわ朝の検診を受けると、ほんの少しガーゼがポロリ。何も痛いことはしていないのに、その恐怖だけで更に顔が青ざめ、すぐソファーに寝かされてしまいました。それでも先生いわく「顔色よくなったね。」私は術後、いったいどんな顔色をしていたのでしょう?

 今日の痛みは、ガーゼではちきれそうな鼻の痛みではなく、歯の浮いた状態とあごの間接部分が中心でした。 もちろん背中は痛く何度も起きては寝を繰り返していました。目は涙目で相変わらず開けることはできませんでした。


 昨日に引き続き二人の患者さんが手術をしました。怪物SさんとトトロK君です。

 怪物Sさんは2時間に及ぶ手術を受けたのですが、帰ってくるなりお話するする。(後で聞いたのですが記憶に無いそうです。)更には術後1日目で新聞を買いに外出してしまったのです。この人は本当に怪物です。

 トトロK君は大きな体格でおっとりし、トトロのような寝息をします。その寝息も日に日に小さくなっていくのですが…。

 若き音楽家伊藤君は壁によりかかり少し元気そう。二十歳という若さは回復力も早いのでしょう。


 今日の当直はがんばれサトビーさんです。みんな苦しんでいるせいか、それとも若い看護婦さんのせいなのか、夜になってがんばれサトビーさんは忙しそうでした。という私も子供の写真を「大事なお守りですね。」と言われニンマリ。

苦しいながらも、昨日の痛みを100とすれば60くらいになりました。明日になればこの苦しみも更に減るだろう、がんばと思いながら眠れない術後2日目の夜となりました。深夜にゼリーを食べたらおいしかった。でも横になったら冷たすぎたのか歯が痛い痛い。楽しみの後には苦が待っていました。




 ★★★★★手術後2日目(入院4日目)★★★★★


 体温36.5度、久しぶりに平熱で朝を迎えられました。

 涙目は変わりませんが鼻の周りも痛みが減り、がんばれサトビーさんの手際よい検診にものせられて気分もいい。ガーゼ抜きも出血なく、初めて気持ちよく座って再診察のときを待った。

 そこで事件は起こった。

 がんばれサトビーさん「Aさん。」と次の患者さんを呼ぶ声。しかし外来患者さんは見られず、私の隣のBさんがそそくさと座ってしまった。(その時私はこの人がてっきりAさんだと思っていた。)がんばれサトビーさんが座っている人と、呼んだ人の違いに気がついたときはあとの祭り。副院長先生のお怒りが待っていたのである。私は心の中で「がんばれサトビー」と応援するのだが本人に届くはずもなかった。


 精神的に余裕ができたせいか、隣の部屋の患者さんたちとも話がはずむ。

 気弱なHさんは「大丈夫、金曜日(術後4日目)になったら頭がスカッとします。」
「ガーゼ抜き痛いんでしょう?」
『最後の難関ですからねー。でも頭のスッキリ感を思えば大丈夫。私なんか先生に「大丈夫ですか?」と聞かれ、大丈夫ではないけど「はい。」と答えた途端貧血をおこし、看護婦さんの手をかりて寝てましたよ。』

 気弱なHさんは、私と同じ血圧がもともと低くまた術後の熱もあがりやすかったので、大変うなずけるお話で一杯でした。しいて違う所をあげれば、私は気弱な×気弱な×気弱な=(気弱な)男であったことでしょう。

 ダンディSさんはよく鏡の前にいました。入院中にもかかわらず、いつも男前でガーゼも鼻の中にピッタリおさまっています。「ここの病院は腕がいいよ。でもイタイ(特に強調)。私も半日泣いてました。4日間はゾンビみたいな歩き方でしたからね。ガーゼ抜きが終わったら地獄から天国ですよ。」

 「あと2日、あと2日」両雄が応援してくれます。


 若き音楽家伊藤君に「歯、みがいた?」と聞くと、「えーさっき、忘れてました。」との返事。(気弱な)の私は今日までそんな余裕はなかった。上唇が恐いながらも歯をみがくと、すっきり。

 怪物Sさんと、トトロK君は、術後1日目から歯をみがき元気である。私たちとほぼ同レベルで1日早く回復しているようだ。

 私たちの部屋では夕方より怪物Sさんが買ってきた新聞のまわし読みがはじまり、活気づいてきました。若き音楽家伊藤君は演奏を聞きながら楽譜をおっています。トトロK君はソファーとベッドをいききしながら読書です。ただし私は涙目で一人横たわっておりました。安静、安静、ガーゼが抜けるまでは安静に…。


 今日の当直はあの魔女ッ娘Kちゃんです。

 魔女ッ娘Kちゃんは手術台の上で心電図の準備をしながら、
「何歳ですか?」
「37です。」
「えっ何歳ですか?」
「37です。」
「……37歳ですね。」
この時の私は初の手術台で、心臓はバクツキ、顔はひきつり、若いだの年だのと言う感情論を話している余裕はなかった。(もうあのタイル部屋には二度と足を踏みいれたくない…。)

 笑顔のかわいい魔女ッ娘Kちゃんは予定時刻ピッタリに行動を開始します。あまりにピッタリすぎてトラブルが起きるとさあ大変。

 私の腕に点滴の針がスッとはいったので「上手。」「ありがとう。」とここまではよかったのだが、次のトトロK君に針のはいらない方の腕をだされ、さー大変。「下にもいかないとでしょー。」とテキパキNさんにいわれながらも孤群奮闘。がんばれ魔女ッ娘K。


 さすがに寝たきりが3日目になると、背中と喉がやられ夜も寝苦しい。咳はとまらず寝ているみんなに気を使ってしまう。深夜になって目を開けると焦点をあわせる必要がないので、少し長く開けていられる。

 はじめてアクビもでた。口があまり開けられず変だ。そういえば昼間ウンチもでた。抗生剤のせいか黒にうぐいす色を混ぜた変な色だ。臭いはわからない。(あたりまえだ!)





★★★★★手術後3日目(入院5日目)★★★★★

 今日のガーゼ抜きは痛かった。鼻の奥から「ヌルッ」って感じで導きだされた。そのヌルッと通る空間の狭くて痛かったこと。まるでストローの中に10円玉を通すような感じだ。

 それも30分後にはすっかり痛みを忘れ、術後最高の気分。はぐきの腫れもあごの方から痛みとともに薄れ今はあごの間接部分だけです。それでもまだ口を動かすとギシギシ、ミシミシ、鼓膜がポッコンします。

 見違える元気さにMかーさん「あれ4日目?」そうなんですやっと私に人間らしさが戻ったのです。チンチンもやっと元気になり子作りの予定はないが、まずは一安心。

 ガーゼ抜きもあと1日と迫ったところで、残念なことがおこりました。それぞれ3日前と4日前にガーゼ抜きを終えた、気弱なH君とダンディSさんが退院です。

これからは人に頼らず、がんばらなければなりません。これを期に次々と皆さん退院され、2日後に私たち同部屋4人はすっかり古株になっていました。

 部屋のみんなも元気になり若き音楽家伊藤君は6月にオーケストラの本番を控えていること、トトロK君はなんと阪神大震災の経験者、怪物Sさんは50歳をこえていること。手術の状況やここにたどり着いた経緯など千差万別です。ちなみに院長先生の手術中の言葉「おかしいなー」はみなさんの脅威の的だったようです。


 今日の当直はセンパイBさんである。

 センパイBさんは、私の入院検査をしてくれました。血圧を計り終えると「いつもどれくらいですか?」「100の60くらい。」「もう一度お願いしまーす。」「……」「もう一度あとで計りなおします。」90の50くらいだったのだが血圧は大事なのでと、まじめなのである。

 ちなみにBさんのことを廊下から「センパーイ」と呼んでいたので、センパイBさんである。

 点滴も今日で4日目、針を見るのもいやになってきます。センパイBさん「私抜く方が痛いっていわれるんです。」とサッと針を抜かれた私はさされる時も抜く時もまったく痛くありませんでした。しかしこれから針を抜かれる同部屋3人は大変恐怖だったと思います。




★★★★★手術後4日目(入院6日目)★★★★★

 昨夜はガーゼが全て抜ける興奮と、ガーゼ抜き痛の恐怖でほとんど眠れませんでした。そんな中、私はこんな夢を見ました。子供達が出てきて「私たちの出生に比べればガーゼ抜きなんて…。」ごもっとも、私のガーゼ抜きは比較になりません。この夢のあと私は3時間ほど睡眠をとることができました。

 さぁー今日は地獄から天国にのぼりつめる日です。体調は頭痛とあごの間接部がちょっと痛むだけで絶好調。あとは祝日の関係で先生が来るのを待つだけである。恐怖になりつつあった点滴もセンパイBさんから「今日から点滴ありませんよ。」と告げられ超ラッキー。あとはガーゼ抜きだけ…。ドキドキ、ドキドキ。1日遅れの怪物SさんとトトロK君は点滴がはじまり部屋中シーン。

しかしこれからが長い。通常7時半が8時、9時、10時。「診察遅いね。」と声をかけあった途端「入院の患者さんは…。」

 テキパキNさんから「Iさん」、次に「ナガタさーん」。ちなみに私は以前オサダですと2回伝えたのだが、テキパキNさんは仕事業務をテキパキこなし、私の声はとうとう届かなかったのである。以後私はテキパキNさんの前ではナガタさんになることに決めていた。

 先生を前にした途端、私の肩はあがり、歯はおもいっきりくいしばり硬直してしまった。左の鼻の穴からガーゼが1ケ2ケととりだされた瞬間、せき込むように鼻の奥から風がピュー。「鼻からださないで」(と言ったかどうか覚えていませんがそのようなことを注意された。)

「そんなに力いれなくていいよ。」といわれ、そうだカミさんの出産に比べたらこんなのと思うか思わないうちに、右の穴からガーゼが1ケ2ケ。ぬけた。いたい。鼻管がいたい。ものすごーくいたい!メチャクチャいったーい!

けどテキパキNさんにささえられながら、しっかりした足どりでソファーに横になった私は、涙を流しながらガッツポーズを繰り返していました。

 鼻の中では、冷たいスキマ風がピューと吹きぬけておりました。この時はとてもとても天国にいきついたとは思えませんでしたが、何か物事を終えた達成感で満たされておりました。


 再検診を終え、先に廊下で待つ若き音楽家伊藤君にVサイン。若き音楽家伊藤君 「思ったより痛くなかったね。」(気弱な)私 「うん、昨日のヌルッの方が強烈だった。」

 実は昨日のガーゼ抜きのあと、若き音楽家伊藤君はガーゼ抜きがすべて終了したと思い、また私は昨日抜けたあの狭い空間のもっと奥にガーゼが入っていると思っていたのだ。(3日目のガーゼはゆるめる役割らしい) 二人の思いすごしは4日目のガーゼ抜きを数十倍の痛さに想像させていたのである。

 翌日、トトロK君に「3日目と4日目どっちが痛かった?」と聞いたところ、「うーんやっぱり今日かな」と答えていました。あとから考えると若き音楽家伊藤君と私の勘違いは超ラッキーだったんだなーとつくづく感じました。

 しばらく鼻はひんやりスースーするのですが、口呼吸ばかりで鼻呼吸ができません。本当に鼻呼吸ができるようになったのは、ガーゼ抜き翌日の早朝でした。

 怪物SさんもトトロK君に遅れながら無事ガーゼ抜き終了。私たち同部屋4人はりっぱな古株入院患者に成長しておりました。




 なぜ、退院していく人たちがこれだけ苦しい思いをして笑顔なのか考えてみました。
 先生方の素晴らしさはもちろんですが、普通はコツコツ時を重ねほんの一瞬の喜びを得るのですが、鼻の手術の場合長くもあり短くもあった地獄の4日間を終えると一生の喜びを得られるからではないでしょうか。

 多分ある期間を過ぎるとあたりまえのこととなるのでしょうが…。

 それにしてもなぜ、あれだけの痛みをこうも簡単に忘れてしまうのでしょう。本当に不思議です。


 ちなみにこの日記は手術後5日目と6日目にまとめたものです。



★★★★★ その後 ★★★★★



私は、2,000年 2月6日に入院し、3週間後の21日に退院しました。入院が長くなった理由は、八丈島から通院できなかったからです。退院から、一週間後、それから三週間後、それから一ヶ月後、そして二ヶ月ごと通院してます。

 鼻の方は手術後、2ヶ月間は鼻水が多くジクジクしてましたが、4ヶ月目に入ると、まったく気にならなくなりました。(まだ下を向くとジクジクしますが…)今度は三ヶ月後に通院の予定です。



 一ヶ月送れましたが、手術後8ヶ月目(10月17日)の検診をしました。
 若干、疲れのせいか鼻水が詰まっているようでしたが、異常なしでした。

 結局、通院5回目で私の蓄膿症手術は完結しました。



 現在(10月17日)の症状は、風邪や疲れがたまると鼻水が出やすくなります。またくしゃみも同様に出やすくなります。 一番気になるのは下を向いたときです。 どうしてもジクジク感がぬけません。それ以外は最高です。


 手術を受けてどう思いますかと聞かれたら?
 私は答えます。「上手な先生の所であれば、ぜひ受けた方がいいですよ。」と。



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